序章
口碑
魔珊瑚大陸 口碑
巨大な珊瑚が陸地を成した、私たちの世界。
人々は海から来る光を恵みと呼び、その力によって暮らしを豊かにしていった。
大陸の黎明期には、6人の賢人によって6つの国と数多の少数民族が治められ、皆、海に感謝しながら生きていた。
人々の信仰の中心には、珊瑚人と呼ばれる神秘の存在があった。
なかでも、桜色の髪と紺碧の瞳を持つ珊瑚人は――大魔女――と呼ばれ、ひときわ深く崇められていた。
その力はあまりに強大で、人間1人の寿命から、海や大地の寿命に至るまで、意のままにできたという。
6人の賢人は善く彼女に仕えた。
だが、ある時――
(ここには、何度も差し替えられた跡がある)
珊瑚人によって大きな災厄がもたらされ、人々の住む大陸のほとんどが海に沈んでしまった。
――口碑はここまで。
命からがら残された陸地へ逃れた人々は、やがて2つの道へ分かれていく。
いずれ来る崩壊に備え、新たな文明を築こうとする者。
かつてもたらされた繁栄に固執し、姿を消した珊瑚人を求め続ける者。
そうして、安寧の時代から混沌へ。
歴史は静かに、その姿を変えていった。
◇
初恋の人
その男の子は、たった6歳で、私の住む村へ1人でやって来た。
外から来た人を見たのは、あれが初めてだった。
嬉しくて、私はすぐに話しかけた。
「いらっしゃい。わたしシェンナ。どこから来たの?」
そう言うと、男の子は青紫のきれいな目をまん丸にして、驚いた顔をした。
でもすぐに、ふっと明るく笑って、
「あちこち旅をして、ここに来たんだ。君に会えてすごく嬉しい」
と言った。
その笑った顔を、私は今でも忘れられない。
男の子の名前は、ルイ。
私の、初恋の人――
◇
冬の窓辺
「海守は潮流を読むのがうまくて、漁も得意なんだ。水の中をすばやく動いて獲物を追い込む姿は、大きな魚みたいだよ」
ルイの話はいつも、自分が旅で見てきたことでできている。
「ちょうりゅうって何?」
「海の中の流れのことよ。ねぇ、ルイくん?」
エメラに聞いてないのに。
真横でにこにことルイに相槌を打つ、年上の幼なじみを見上げる。
「わたし、ルイに聞いたんだよ」
「ルイくんの話、遮るからよ」
ばちちちっ
桃色の火花が散る。もう知ってる。エメラも絶対、ルイのことが好きなんだ。
「シェンナ。海はね、行ったり来たり、実は絶え間なく動いてるんだよ。その流れに乗って、海に住む命も、ある意味でオレたちも移動してる」
ルイの柔らかい声にそちらを向くと、青紫色の宝石みたいな目と目が合った。
*
「シェンナ、お夕飯は? 何か食べられそう?」
母が心配そうに、わたしのベッドのそばへ来た。今日は朝から食べていないけれど、体がだるくて、ほとんど目だけを動かして何とか答える。
「いらない……」
かいがいしく足元の湯たんぽや、部屋の加湿器に水を足しながら、母がため息をつく。
「やっぱり、これだけ冷え込むと体調崩すよね。今日は外、雪が積もってるの」
ちょっとだけ開けてくれたカーテンの外では、たしかに粉雪が舞っていた。
「……雪合戦とかしてみたいのに。ほんとに動けなくなっちゃう。冬は鬼門……」
未だかつて実現しない雪遊びに思いを馳せるわたしに、おやすみを言って母が出ていく。
ヘッドボードの上に吊り下げたドリームキャッチャーの羽越しに、見慣れた天井をぼんやり眺める。蓄光性の素材で波の模様が描かれた一面を見つめていると、ルイの話を思い出した。
『シェンナ、聞いて』
「……会いたいな」
体調を崩して、というより、ぐっと気温が冷え込んでからは外出できず、もう10日以上ルイの家に行っていない。この8年ぐらい、冬を除いて毎日のように通うそこは、わたしのもう1つの家と言っても過言ではない。
アーチを描く屋根。大きな円窓に十字の格子。その窓のそばに分厚い正方形の机があって、わたしとルイは、比喩ではなく本当に毎日、木製の椅子に向かい合って、お話をしたり絵を描いたりして遊ぶ。
……思い出の中でさえ見切れてはくれないが、大概そこにエメラもいる。
んふぅ……と鼻から息を吐き、目を閉じると――
「シェンナ〜」
……まずい。会いたすぎて幻聴がする。
「シェンナ〜、窓のそばに来て〜」
ぱちっと目が開く。ベッドから降りてカーテンを開けると、2階からの目線の先、少し小高い丘の中腹で見慣れた人影が大きく手を振っていた。
「ルイ……! エメラも?」
あったかく厚着した2人の真ん中に雪だるまがいて、ボードを首から下げていた。
『早く良くなって』
遠目だし夕暮れどきだから、2人の足元のランプでやっと顔がわかるぐらいの距離だけれど。ルイだけじゃなく、普段は気取ったエメラまで寒さで鼻が真っ赤なのがわかって、おかしくて嬉しくて、窓を開けて手を振り返した。
「シェンナ用に、入ったら出られないぐらい快適って噂の『炬燵』をどこからか調達するからねー!」
「早く窓閉めて寝なさいよ、バカー! また寝込むでしょ!」
◇
運命の朝
キュイっ、キュイっ……!
高い音のアラームに長く唸りながら、手を伸ばして水色のイルカ型目覚ましを探す。
キュイっ、キュイっ……ン、キュッ。
手が背びれ部分に当たり、アラームが止まる。薄目で文字盤を見ると、7時前だった。
「んん〜〜〜……懐かしい夢だったなあ」
夢の中の雪景色とは一変して、薄緑のカーテンを引き、窓を開けると、初夏のやさしい風が吹き込んでくる。
壁のカレンダー。1週間後の日付には、結婚式出席のメモ。
「……ジューンブライド、だっけ。エメラは案外わかりやすいんだよね」
言ってから1つ、ため息をつく。いつも通り髪を結って、気に入っているワンピースに着替えてから階下に降りた。
「おはようシェンナ。珍しく早いね」
「お父さんおはよう。お母さん、今朝はパンが良い」
両親に挨拶をしてテーブルにつく。カウンターキッチンの向こうから、母が皿を出す音がする。
「おはよう。シェンナ、今日は早く帰れる? 礼服を仕立て直したいのよ。ルイ君とエメラの結婚式用の」
「ああ、そうか。もう来週なんだね」
……お母さんもお父さんもデリカシーないなあ。
心の中でぼやきながら、パンとジャム、ココットに入ったヨーグルトを受け取り、曖昧に唸りつつバターナイフをとる。
「……わかった。早く帰るよ。……しっかり祝ってあげなくちゃだもんね」
パンにこってり塗った母のお手製マーマレードが、いつもよりもほろ苦く感じた。
*
朝食後、約束していたルイの家へ向かう。いつもと同じ、通りはのどかな田園風景。用水路の水がきらきらと光っている。
ルイの家へ行くまでには何通りか道があって、小さな林を抜けるか、小高い丘を越えるか、村の真ん中の広場を通り抜けるか。わたしはいつもその日の気分で道を選ぶけれど、今日は夢でルイとエメラと雪だるまが並んでいた、小高い丘越えのコースを選んだ。
この丘の頂上からは、星がよく見える。風向きや天気が良ければ、遠くに海の煌めきも見えた。あっという間に踏破できる頂から向こうの斜面には、春にたくさんの花をつける大樹がある。それはもう、重たそうと言ってもいいくらい八重咲きの丸い花姿で、散り際も綺麗で、つい先日までここら一帯はピンクの絨毯になっていた。
また1つ、小さくため息をついて坂を下ると、ルイの家の特徴である、緩やかなアーチ状の屋根が見えてきた。
コンコン!
「ルイ〜、シェンナだけど」
この10年、数えきれないほど繰り返した台詞。1週間後には、ルイの後にエメラの名を足して呼び出すことになるのか。
一瞬どんよりしかけたけれど、部屋の中を足早に移動する気配がして、ぱっと扉が開いた。
「来たな! 上がって」
ツンツンと伸びた黒髪と、穏やかな青紫色の目が、いつも通りわたしを見た。
◇
お守り
ルイの家は、上がるとすぐにハーブの香りがした。
彼が庭で種から育てて、お茶用に干したものを天井から吊るしているのだ。何種類かをブレンドして、誰の味と香りが良いかをよく競った。ルイの淹れるお茶は、いつも美味しかった。
「早かったけど、ちゃんと起きれたんだな」
ルイが笑いながら、銀色のケトルに湯を沸かしている。
「これでも目覚めはいいの。……あったかい季節限定で」
「知ってる」
優しい声に、爽やかな香りが重なる。
お茶を運んできたルイが、向かいの椅子にいつものように座る。
お盆の上、カップの横に何か筒状の金属のようなものが一緒に乗っていて、わたしは首をかしげた。
「これ何?」
「ずっと、シェンナに渡したかったもの。今日はこのために来てもらったんだ」
答えのようで、何とは明言しない。
ルイとそれを見比べながら持ち上げてみる。思っていたより軽い。筒の中は空洞のようだけれど、からら……と軽いものが数個、内側で転がる音がした。
「うーん。楽器じゃないよね。何に使うの」
キッチンへ1度戻ったルイが、水差しを持って戻ってくる。
「水? いらない。まだお茶も飲んでないよ」
不思議に思って問いかけると、ルイはにこっと目を細め、水差しを傾けた。
「ぉ、ちょ。何? わわっ」
わたしの手の中の筒に水がかかるにつれて、金属に彫られた流線的な模様が淡く光り始めた。
「シェンナ。何か好きな生き物を、思い浮かべて」
そう言われて、とっさにこの間見かけた子うさぎが頭をよぎる。
筒の淡い光がゆらりと持ち上がり、うさぎ……と、言えなくもない耳の長いシルエットを作って、すぐに消えた。
「うーん。詳しく思い出すって難しいよ」
ルイは頷きながら、少し考える顔をした。
「……これを、今日からお守りだと思って身に付けていて」
「? プレゼントってこと?」
「ううん。どっちかって言うと、返す、かな。これはシェンナが持つべき物だから」
普段から頭が良くて、少し文学的な話し方もするけれど、こんな謎かけみたいなことを言うルイは見たことがなかった。
「ルイ、何かわたしに言いたいことがあるの? それか悩み事? マリッジブルー?」
ルイが少し笑いながら、わたしの頭を撫でる。
「シェンナ、俺ね――」
青紫の目が揺れるのを見つめ返して、幸せがこみ上げてきた、その瞬間。
「ルイ〜、シェンナ〜、居るの〜?!」
ドアの向こうから聞き飽きた声が響いて、わたしは盛大に憤った。
◇
爆音
なんて空気の読めない人間なのか。
じとりと横目で扉を睨んでから、いつもならすぐに返事をするルイを、なんとなく見上げた。
青紫の目が、何かを逡巡するように揺れている。
でも次の瞬間、ふっと穏やかに笑って、
「よぉし……!」
と、ルイがわたしを抱き上げた。
もうほんとに、ここで時間が止まればいいのに。
そのままドアを開けると、花の刺繍のあるベージュのワンピースを着たエメラが、にこやかに立っていた。
「おはようエメラ!」
「……あいっかわらず仲が良いのね。何年後かのアンタの結婚式には、『主人』と2人で参加させてもらうわ」
しっしっと手を振り、ルイからわたしを引き離すエメラを半目で睨む。
「こっちこそ、身を引いてあげるんだからね」
――あ。
気づいてしまった。
エメラの左手首におさまった、手作りの腕輪【プセリア】。男の人が女の人に渡す、婚約の証。
初恋の人と親友との結婚が急に現実味を帯びて、思わず俯く。
ぽん、と暖かい手が肩に置かれた。
ルイの優しい声が落ちる。
「シェンナは良い子だから。良い出会いが待ってるよ。君に腕輪を渡すのは、星の名前を持つ男だ」
ものすごく残酷な優しさに、苦笑いする。
「……出たよ、ルイの適当占い」
「なぜか結構当たるのよね」
エメラも複雑そうに相槌を打って、妙な空気になる。
でも次の瞬間、誰からともなく声を出して笑い合った。
ルイ、エメラ、大好き。
どうか、幸せになってね――
ぶわっ、と不自然な突風が吹いて、わたしはよろめいた。
次の瞬間、
ドォォン!!
地面が揺れた。
耳の奥にきんと高い音が刺さって、それしか聞こえなくなった。
◇
家のない場所
音がなかなか戻ってこない。
水の中にいる時みたいに歪んで、遠いのか近いのかわからない。
頭を揺らされているような感覚の中、薄目を開けると、ルイがわたしとエメラの肩を押さえて必死に何か言っているのが見えた。
『ここにいて!』
何度もそう繰り返しているのがわかる。
自分もよろめきながら奥の部屋に行き、すぐに戻ってきた彼の手には長い剣が握られていた。刀身の収まった入れ物には、たくさんの文字のような、不思議な模様が入っている。
わたしがルイに「待って……」と手を伸ばした時、その模様が端から順に光った――ように見えた。
ルイは振り向かず、そのまま扉から飛び出していった。
「……エメラ、動けるっ?」
ようやく、それが自分の声だと認識できるようになり、うずくまっていたエメラに声をかける。
「今の……何っ……? ルイ君は?」
「わかんない。ルイ、剣、持って出てった……」
2人で訳もわからないまま見つめ合う。
けれど、なんとか立ち上がったエメラが震える声で言った。
「行くよ、ルイ君のとこ」
迷わず頷き、わたしはエメラの手を引いて走り出した。
丘の向こうに大きな白煙が見えた。
――いや、その手前。
丘の上には見慣れない格好をした人たちが集まって立っている。
最初は何人いるのかわからなかった。
全員が同じ黒い服を着ていて、顔の下半分だけが白い。
骨?
違う。
枝だ。
白く乾いた枝が幾重にも絡み合い、そのまま人の口元に張り付いたように見える。
目だけが並んでいる。
何十もの視線が丘の下を見下ろしていた。
風に揺れる旗の音だけが聞こえる。
誰も喋らない。
それなのに、その場にいる全員が同じもののように見えた。
その集団の中心。
白い枝を付けていない男が一人だけ立っていた。
何故だろう。
距離はあるのに、その男から目が離せない。
背筋を冷たいものが這い上がる。
異様な空気に、エメラと目配せをして、小さな林の道へ駆け込んだ。
林を抜けた先で見た景色に、頭が追いつかない。
林を抜けたらあるはずの、わたしの家が、ない。
正確に言うと、家があった場所に瓦礫が積み上がっていた。白煙の出どころはここだ。
「シェンナの、家が……」
呟くようなエメラの声に我に返り、慌てて声を張り上げる。
「お父さん! お母さん?!」
姿がない。周りを見渡すと、隣近所の家も少なからず半壊していて、戦慄が走った。
「お母さ……」
声が掠れた、その時。
「シェンナ?!」
白煙の中、髪を砂埃で真っ白にした母が駆け寄ってきた。
思わず飛びつき、抱き合う。
「お母さん?! あぁぁ、よかった……」
「せぇの!」という何人かの掛け声と、がらがらっと岩が退く乾いた音がして、瓦礫の向こうからルイが顔を出した。
「シェンナ! 親父さんも無事だよ!」
ルイの肩に支えられて、頭から血を流した父が軽く手を上げた。怪我をしている様子に血の気が引いたけれど、
「よかった……ルイ、ありがと――」
お礼を言おうとして、固まる。
あれは何――?
ルイと父の背後、白い枝のようなものを顔につけた兵士が立っていた。
口元を覆うそれは、遠目に見た丘の上の人たちと同じものだ。
白く乾いた珊瑚の骨みたいな格子。
その奥で、目だけがぎらりと動く。
鈍い光が振り上げられるのを、わたしはスローモーションみたいに見つめていた。
「ルイ君!! うしろっ」
ほとんど悲鳴のようなエメラの声に、父の方が早く反応してルイを突き飛ばした。
何かが父に振り下ろされた瞬間、わたしのそばにいた母が、ぎゅっと強い力でわたしの視界を覆った。
がたがた震える母の腕からどうにか頭を出した時、ルイが父を片腕に抱え、白枝をつけた兵士に剣を構えていた。
「あり得ない……! これが愚行だと、何故わからない!」
ルイの怒声を初めて聞いた。
深くて強くて、こんな時でも人を咎めるより諭すような声だった。
「王の命令は絶対なんだよ。逆に言えばさ、襲撃命令下では何しても割と自由なんだ。お前ら目についたから、理由はそれだけなんだけど」
白枝の奥から聞こえる声は、くぐもっていた。
人の声なのに、人ではないものが喋っているみたいだった。
目の前で起きていることが飲み込めないまま、その中で父が絞り出すような声で言った。
「侵略を繰り返す時代は終わる……もう何の意味もない……出て行け。ここは、我々の最後の場所だ」
白枝の兵士が振り上げた鈍い光が、曲線の剣だとようやく気づく。
ルイが父から手を離し、兵士の刃を正面から剣で受けた。
ガチィ!!
硬い音がして、エメラの息を呑む気配が走る。
わたしはようやく母の腕から抜け出し、父に駆け寄った。
「お父さん……」
何とか腕を握る。頭と、左肩から胸のあたりに大きく血が滲んでいる。早くお医者さんに見せないと――
「シェンナ……母さんも……ぼくの自慢の……」
父の目に涙が光り、持ち上げるように握っていた腕が、ずしんと重くなった。
「んん……」
無意識な声が、喉から溢れた。
◇
王の前
ガチィ!
硬質な音に、ルイがまだ男と戦っているのがわかって顔を上げる。
ルイが剣を受け、相手を蹴り離した時、強い声が響いた。
「剣を納めなさい!! 誰を待たせている!!」
その場にいた全員の視線の先、目に飛び込んできたのは赤い服だった。
白いタイトなズボンに膝上まであるブーツ。
黒髪を肩の上で切り揃えた背の高い女性が、燃えるような青緑色の目でこちらを見据えていた。
丘にいた兵士たちと同じ黒い軍装ではない。
顔を覆う白枝もつけていない。
その素顔が、かえって怖かった。
白い枝の奥からこちらを見る兵士たちとは違う。
この人は、自分の目で見て、自分の口で命じている。
わたしの背後、母を支えてくれていたエメラが戸惑った声で呟く。
「……ピアス将軍……?」
「この集落の中央にある広場に移動しなさい。残るはあなた達だけです」
ルイが、ピアスと呼ばれた女性に声を荒げた。
「貴女の部下がしたことを見ろ! これが王の命令なのか!」
柳眉が微かに動く。
曲刀をまだ手に遊ばせる男と、父の亡骸を見比べた。
「その男性を殺したのはお前ですか」
「そうです。吹き飛んだ家から出てきた死に損ないでした」
わたしの怒りが吹き出すより早かった。
光が一閃し、次に見た時には男はもう地に伏していた。
ピアス将軍が剣を納め、動かない部下へ吐き捨てるように言う。
「愚か者が。死んで詫びなさい」
次の瞬間には、あの鋭い光を宿した目でこちらに向き直った。
「移動しなさい。――王がお待ちです」
ルイが静かに剣を納め、エメラに代わって母に肩を貸してくれた。
3人の後ろを、ほとんど呆然とついていきながら、わたしは瓦礫の上の父と男の亡骸を振り返る。
「前を向いて歩きなさい」
後ろにいたピアス将軍の感情の読めない声に、ぐっと視線を逸らした。
「ピアス将軍……? ひとの命って、こんなもんなの……?」
背後からの答えはなかった。
*
広場に着くと、本当に村中の人が集められていた。
ここには、たまにある朝礼や祭りの出し物ができる舞台がある。地上からは3メートル少し高さがあり、上に立てば小さな村が一望できた。
どこかぼんやりと群衆の中へ進もうとした時、ピアス将軍の声が飛んだ。
「止まりなさい。イーヴァン様、連れて参りました。この4人で最後です」
「……来たか」
重い声に顔を上げる。
鈍く光る金髪に青灰色の目。背はそう高くないが胸板の広い、がっしりとした男が立っていた。獲物を射すくめるように、どこか値踏みするように、ルイと母、エメラへ順に視線をやり、最後にわたしと目が合った。
じっと見据えていると、ピアス将軍が遮るように声をかける。
「上がりなさい。間隔を開けて立つように」
父を斬った男と同じ格好の兵たちに促され、わたしたちは舞台へ上げられる。
横長の木の舞台は、向かって右端にだけ階段があり、そこから奥へ進むように並ばされた。
左端からエメラ、ルイ、わたし、母。背後には兵士たち。降りる道は、もう右側の階段しかない。
エメラとルイがその間際、
「イーヴァン王自ら……」
「シェンナを……」
と囁き合うのが聞こえた。ルイの剣はピアス将軍が預かると言い、ルイは静かに応じた。
わたしたちが舞台に上がると同時に、広場からどよめきが上がった。数百人の村人の間に、何が始まるのか、そんな声が広がっていく。
イーヴァンがずかずかと、並んだわたしたちの前を横切り、群衆に向き直った。
「今日俺がここに来たのは、世界をあるべき姿に正すためだ。この村に安穏と暮らす大人なら意味はわかるだろう。お前らがありがたがって庇護し、隠してきたものはもう何の意味もない。それを俺が証明しよう。
お前らを代表して犠牲になる者は1人。それをこれから決める」
始まった訳のわからない演説に、怒りが戻ってくるのを感じる。
その時、ぴたりと首筋に冷たく光るものが当てられた。
「さて。お前、歳は」
何か、変な話だった。すうっと頭と胸が冷めていく。
恐怖ではなく、妙に冷静で、首筋の刃物を横目に口をつぐむ。
「聞こえんか?」
挑発と軽い苛立ちの滲む声がして、剣の角度が微妙に変わろうとした、その時だった。
「待ってくれ!」
群衆の悲鳴さえ止めたルイの声に、はっと我に返る。
「その子はさっき父親を目の前で殺されて放心してるんだ!」
そちらを向こうとしたわたしの頭を、分厚い手ががしりと掴んだ。
「お前は? ちょうどいい。説明しろ」
「その子は14歳。俺は16で、彼女は17歳。奥の人はその子の母親だ!」
イーヴァンの手が、ぐっとわたしを1度抑え、離れた。
「では決まりだな」
ひゅう、と剣先が持ち上がり、ぴたりと止まる。
「女。死ぬのはお前だ」
剣先の向こう、舞台の左端に追いやられたエメラの目が見開かれた。
指名された瞬間、彼女はその場で膝から崩れ落ちる。
「エメラっ……!? 逃げろ、俺が――」
ルイが駆け寄ろうとしたが、同じ格好の男たちに両側から抑えられ、わたしたちのいる舞台右側へ引き戻された。
ピアス将軍がわたしを舞台袖近くまで引き離す。母は力なく膝から崩れ、床を見つめて動けない。
左端にいるエメラまで、急にひどく遠い。
悲鳴や怒号が飛び交い、目眩がして目を閉じる。
まるで現実から切り離されたように、音が混ざり合う。
まぶたの裏、ついさっき見たルイの青紫の目が、宝石のように甦る。
『シェンナ、俺ね――』
剣が空気を割く音が遠くでして、舞台右側で押さえつけられていたルイの気配が、風みたいに左へ動くのを感じた。
目を開けた時、わたしの大好きな人が、イーヴァンの向こうで、へたり込んだエメラの膝の上に崩れ落ちるのが見えた。
悪いことに、受け入れきれない現実は、それで終わらなかった。
「ごめん……」
ルイがエメラに、そう言ったのが、喧騒の中でも確かに聞こえた。
エメラが背中を大きく斬られたルイに必死に声をかけていた、その最中――
どすり、
凶刃が彼女の胸に突き立った。
「馬鹿が。俺の使命は、この女だ。」
ベージュの生地から剣が引き抜かれ、静かに傾いだエメラの身体が、膝の上のルイを抱え込むように崩れた。
左手首のプセリアまで、血に染まった。
「うわあぁぁ……!!」
あたりの悲鳴なのか、自分の喉から出た声なのか、わからない。
真横にいたピアス将軍の手からルイの剣を抜き放ち、切っ先をイーヴァンに向けて突っ込んだ。そこから先は――
周リノ音ナンテ聞コエナカッタ
剣ノ重サダケ、妙ニ、リアルダッターー
◇
理由が知りたければ
パチィ……!
剣が重なった瞬間、金属音ではない不自然な音と光が飛んだ。
目の前で交差するイーヴァンの剣から、2人の血がぽたりと落ちる。
わたしの震えが、刃越しにかちかちと伝わっていた。
イーヴァンはしばらく、それを無言で眺めていた。
わたしの瞳は海の色をしていた。
髪は桜色から、毛先にかけて空へ溶けるような淡い青へ変わっている。
染めたものではない。
「聞くが、お前は自分のことをどこまで知っているんだ」
周りでは悲鳴やどよめきが渦巻いているのに、その声だけは妙にはっきりと耳に届いた。
「……っ、あんたこそ……!
何なの、なんで……!」
「度胸があるな」
イーヴァンは低く言い、剣越しにわたしを見据える。
「周りを見ろ。誰1人、俺には向かって来ない。罵声すらない」
怒りで喉が焼けるようなのに、言葉にならない。
わたしが睨み返すと、イーヴァンはほんの僅かに口元を歪めた。
「理由が知りたければ、追ってくるといい」
唐突に剣越しに押され、わたしはたたらを踏む。
それでも何とか顔を上げ、睨み返そうとした瞬間――
バチィ!
首に衝撃が走った。
膝から崩れ、前のめりに倒れたわたしを見下ろしながら、イーヴァンの背後にいたピアス将軍が腰のベルトにスタンガンを差し戻す。
「ご用件はお済みです。引き上げましょう。イーヴァン様」
「そうだな。隊列を組め。帰還する」
遠ざかっていく足音を、わたしの意識はもう追えなかった。
◇
夜明け前
わたしは14歳で、4人の中でいちばん歳下だった。
お母さんは、お父さんを失っていた。
本来、選ばれるはずだったのは男の子のルイ。
でも、ルイはエメラより歳下だった。
『お前、歳は』
首筋に刃が当たった時、直感でわかった。
エメラが死ぬ。
だから言わなかった。
言うくらいなら死ぬ。わたしが死ぬ。1人死ぬ。
だって、2人は夫婦になる。
『待ってくれ!』
(ルイ……! 言わないで、言っちゃ駄目!)
重なって倒れた2人の周りに、絨毯みたいに血が広がる。
エメラの左手首のプセリア――幸せの象徴までもが、赤く濡れていた。
2人は……村でいちばん幸せな夫婦に、なるはずだったのに。
酷い気分で目が開いた。
見慣れない天井。自分のじゃない色の掛け布団。自分の部屋じゃない。
ああ、そうか。
わたしの家は――
そこまで考えて、涙が込み上げる。
何が起きたの。
なんで夢じゃないの。
そう思いながらも、背中の下、腰のあたりに違和感を覚えて上体を起こす。
ベルトにつけたポーチに、何か硬いものが入っていた。
「……? あっ……」
出てきたのは、今朝ルイがくれた筒状の金属だった。
「いつの間に……」
記憶を辿る。
この『お守り』を前に、ルイが何か言いかけて、エメラが来た。
あの後、ルイはわたしを抱き上げて――あの時に。
「お守りは……ルイこそ必要だった……」
そこまで言って、また視界が歪む。
その時、シャリ、ショリ、と奇妙な音がして、ばっとそちらを向いた。
「だ、誰っ?!」
ベッドの足元から少し離れた場所に、椅子へ腰かけた横顔が見えた。
流れるような亜麻色の髪を高く結い上げ、華やかな衣装を纏った長身の人物が……どうやら、りんごを剥いている。
「起きれて良かった〜。気分はどう? 首、痛かっただろ。りんご食べる?」
「い、いらない……」
村の人間じゃない。なのに妙に馴れ馴れしい。
というか――
「……お、男の人?」
「そうだよ☆ イデアって言います♪」
にっこり微笑んでこちらに手を振るその人は、確かに男性なのに、目元や唇にはばっちり化粧までしていた。しかもそれが妙に似合っている。
「どこ……、あ、お母さんはっ? あの男も……」
言葉を探すわたしから、りんごへ目を落とし、柔らかい口調で言った。
「ここは村の、俺が滞在してる宿ね。君のお母さんは町の病院。無事だよ。イーヴァンは帰った」
*
剥いたりんごがうさぎにならない……と独り言を言う男に、さすがに警戒心が湧く。
「なんで、わたしをここに」
「村の人達、亡くなった人のお通夜とか葬式の手配とか、壊れた場所の後片付けで忙しそうだったからさ。お袋さんも、あの処刑台にいた時から放心したまんまだったし。だから、君のことは俺が目が覚めるまで預かるよ〜って」
……本当に夢じゃないんだ。
家も、お父さんも、ルイも、エメラも。
「わ、わけがわからない……処刑台?! あの舞台は、そんなんじゃないっ……」
数ヶ月前、春を祝う祭りの出し物をエメラと踊った。
舞台の縁に座って、ルイの旅の話をいくつも聞いた。
「あそこは、あんな場所じゃない……!」
喉の奥が熱くなる。
手の中の金属を握りしめたまま、声を絞り出す。
「ま、守りたかった……命に代えたって、わたしは守りたかったのに……!」
ぽた、ぽた、と涙が落ちる。
そのたびに、手の中の金属が、ぱっ、ぱっと淡く発光した。
その光を見つめていた時、不意にイデアが近づいてきて、わたしの肩を掴んだ。
「あんた、この村を出なよ」
*
村を……出る?
長いまつげに縁取られた目を見返す。
その視線はどこか迷うように1度伏せられたけれど、やがてまた、青い宝石みたいな目がまっすぐにわたしを捉えた。
「……運命って言葉があるなら、あの舞台で2人が死んだことも、イーヴァンに剣を向けた君がこうして生きてるのも、何か理由があるって思わない?」
「……理由」
『理由が知りたければ、追ってくるといい』
胸が悪くなるような声がよみがえり、呼吸が乱れる。
「君、何も知らないんじゃない? イーヴァンを、村の誰も止めなかった理由も。止めるどころか、文句ひとつ言えなかった理由も。
そんな場所に残る選択肢、ある? 大切な人たちの葬式に静かに参列して、そのあと何事もなかったみたいに生きていける?」
目が見開かれる。
絶対に、無理だ。
「わたし、あの男だけは許せない」
海色の目の奥に、激しい赤が灯る。
「……じゃあ、どうする?」
「イーヴァンを追う。村を出るよ」
わたしの答えに、イデアは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに頷いた。
*
夜明け前、わたしは小さな荷物を1つ抱えて宿を出た。
イデアは勧めてくれたけれど、お母さんには会わなかった。
会えば、きっと行けなくなると思った。
行けなくなったら、わたしはあの舞台の前で、ずっと昨日のまま立ち尽くすことになる。
代わりに、宿の人に手紙を預けた。
『お母さんへ。
黙って出ていくことを許してください。
会ってしまったら、きっと行けなくなると思いました。
それでも、ここには残れません。
イーヴァンを追います。
ルイとエメラのことを、なかったことにはできません。
どうしてあの人があんなことをしたのか、知らないままではいられません。
ルイがくれたお守りを持っていくから、大丈夫です。
お母さんも、どうか生きてください。
シェンナ』
書き終えたあと、しばらく紙から手を離せなかった。
本当は、もっと書くことがあった気がする。
ありがとうとか、ごめんなさいとか、帰りますとか。
でも、どれも嘘になりそうだったから。
手紙を折って、それ以上は何も足さなかった。
外に出ると、まだ朝ではなかった。
村の道には、もう人がいた。
弔いの支度をする人。
焼け残った柱を運ぶ人。
誰かの名前を呼びながら泣いている人。
昨日まで知っていたはずの道を、わたしはイデアの後ろについて歩いた。
顔見知りの何人かがこちらを見たけれど、お互い声をかけなかった。
かけられないのだと思った。
いつもなら真っ先に捜す顔がないのがわかって、わたしは腰に下げたお守りを握った。
村の入り口へ向かう途中、遠目に見えた舞台には、白い布がかけられていた。
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第1話 知るための道 →