09 レダ・ブルー
「レダ、前へ。装束を受け取りなさい」
それは、僕の人生が変わった日。
見習い修道士の期間を経て、初めて授与された南の聖地公認の聖職者の証。
真白(ましろ)と呼ばれる純白の装束は、着る人間の神力に合わせてその色を変える。
砂浜や浅瀬の淡い色から、深海を思わせる群青まで5段階の青が階級を決める。
でも――僕が袖を通した瞬間、装束が示したのは6番目の色だった。
目の覚めるような、ハッキリと濃い青。誰かが皮肉と畏怖を込めて王青(ロイヤルブルー)とつぶやいた。
僕の後にも先にもその色を出した人間は出なくて、今じゃレダ・ブルーと呼ばれているらしい。
大神官はしばらく考えた後、まだざわめく神官達を両手で制し、にっこりと目元で僕に笑いかけた。
「レダ。女神の名においてお前を王都アハウ、ユピテル教会の神父に任命する」
史上最年少13歳。南の聖地の外ではもっとも危険な中央の王国しかも王都への出向命令。
「期待しているよ。下がってすぐに荷造りを。しっかり励むように」
恐ろしく明るい声音で、僕の人生から、平穏は消えた。
◇
クリフロードでヤサギと別れた足で、人ごみをかき分けカイマン神殿へ急ぐ。
3時間も早く来た海の影響で、おそらく業務は山積みだろう。
一般的に、神殿は南の聖地が興るよりも昔から各地に残る祈りの場だ。今では礼拝だけでなく、旅人の宿泊や道中の護衛まで担っている。対して教会は、南の聖地が人々の暮らしの近くへ信仰を広げるため、各国の町や村に建立したものだ。礼拝や告解のほか、行き場を失った者を受け入れる避難所にもなっている。
ただし、独自の北極星信仰を持つ北の星地にだけは、神殿も教会も置かれていない。
ヤサギはそこの出身なので、僕のことも変に特別視しないし、むしろ舐めている。
ここイミシュの街は昔から交易の場で建物が密集している。だから教会はない代わりに、緊急時のすべてを大きな神殿が担っている。
聖職者専用の入り口に向かうと、門の両側に立った浅葱色の装束の二人が頭を下げた。
「どうぞ」
「ご苦労様です、そのままお進みください」
門をくぐるとすぐに、潜めた声が聴こえた。
「今の?」
「ウワサの神童」
◇
入ってすぐの手水場で白手袋を脱ぎ、手、口、耳を清める。ここでは本来、俗世の声を断つ意味もある場なのだが。ちらりと奥の仰々しい扉を見つめてため息をつく。もうその先で起こることが予想できてしまうから。
水にぬらした手でざっと、アッシュグリーンの短い髪をかき上げる。
神童と呼ばれることを、稀にみる高い神力を望んだことなど無い。そもそも聖職者に興味はなかったし――だけど、
今は王都の大教会の顔。きゅ、と手袋をはめ直す。外敵から、救いを求めるすべての人々を守り、導く立場。
ガン、と重い音を響かせ扉を開けた。
◇
扉の先は、少し広さのある石造りの部屋で聖職者たちの詰め所を兼ねている。部屋の奥には、腰ほどの高さの石造りの受付台があり、その向こうに神殿の広間が見える。避難してきた旅人や商人、子どもを抱いた親たちが、不安そうに押し寄せていた。受付カウンター最前線では、救いを求める声を聞く白群や浅葱色の装束をまとった聖職者たちが忙しなく応対している。
「海守連が救助船を出すそうですが……」
「間に合うことを祈りましょう。あ……」
今、レダが入ってきた入り口付近で話し込んでいた高位の聖職者の集団が、青装束を見て話を止めた。
「……最高位の青か」
「神童レダ……あれが」
「ほら、5年前に。異例の王都就任した」
ささやき声を気にしないようにひとしきり感想が出るのを待つ。いつものことだった。
「でも正直、神力ケタ違いすぎて聖地も手に負えないそうだよ」
しっ、と誰かが制する声を聞き終え、そちらに歩み寄る。
一斉に自分より下位の年長者たちの視線がレダに向いた。
見すぎだろ、と胸中で毒づき挨拶をする。
「王都アハウ、ユピテル教会の神父レダと申します。船が出るまでの間こちらで待機させていただきますのでよろしくお願い致します」
誰も目を合わせずよそよそしい空気が流れる。
(このアウェー感……ほんとに古狸の巣なんだよな神殿は)
さっさと女神の間へ清めに行こうと思った矢先――
「やぁ~レダ君、大きくなって!」
ひょこっと背の高い初老の神父が声をかけてきた。周りをかき分け近寄ってくると手を取りぶんぶんと握手される。
「最後に会ったのはもう5年前かな。ミマス神父やみんなは元気?」
装束の色は中位を示すエメラルドグリーン。はて、誰だったか。
「はい、養父(ミマス)も皆も、5年前から変わらずおります」
曖昧に返事をする背後に、イヤな気配を感じレダの表情が硬くなる。
「ジェーナス!世間話をしている暇はない」
厳格なしわがれ声に、悪寒の原因はこれかと内心ため息をつく。 そうだ。目の前の柔和な男は、ユピテル教会の前任者ジェーナス神父。そして、その後ろから近づいてくる厳格なしわがれ声の主は――。
「レダ神父。何をしにいらしていたかは存ぜぬが、災難でしたな。特別なおもてなしもできず申し訳ないが」
フェーベ枢機卿。
がっしりとした体格の老爺が、黒地に金の刺繍を施した長衣をまとい、杖もなしにそこに立っていた。灰色の髪は後ろへ流され、深く刻まれた眉間の皺と、頬から顎を覆う髭が、怒っていなくても怒っているような迫力を作っている。胸元には大粒の青い石が重たげに揺れている。
「とんでもない。なにかお手伝いが出来れば幸いです」
にこりともせずにレダが応じる。フェーベ卿と言えば、南の聖地でも指折りの実力者だが、派閥を作ったり地方の教会を支配下に置きたがったり何かと面倒な人物だ。ここで会うとは思わなかった。
「我々神官は女神に祈りを捧げる儀式の準備で忙しい。神父様には雑務の手伝いをお願いしたい」
(へたに関わるまい……)
「かまいませんよ」
どこか後ろ髪惹かれるように、にこにこと下がるジェーナス神父を尻目に、今後の予定を考える。
ひとまず、女神の間に行こう。あそこでは全てが清められる心地がするから。
神官たちのそばを通りそのまま階段へ向かおうとすると、じとーーっとした視線を感じた。
「フェーベ卿、まだ何か?」
「レダ神父」
怒鳴っているわけでもないのに、詰め所の空気が一段低く沈むような声だった。
「あなたは拝礼もご存じないのか!!」
突然の大喝に呆気にとられたが、冷静に返す。
「ご存じかと思うのですが、教会の神父は女神以外に起拝いたしません。」
「ここは神殿で、お前は聖職者ではないのか」
(……こんのジジイ)
途端に周りがさっと一歩二歩下がる。フェーベ卿は今、真白装束を着けてこそいないがハッキリと高位の群青色だ。レダは言わずもがなの最高位の神力の持ち主。下位から見ればもう怪獣の戦いである。
「珊瑚大陸に生けるものはすべてが等しい、共通の教えですよね?」
「礼儀知らずが。神力だけだとウワサが立つわけですな」
「高圧的な者がいるから、他の聖職者に影響するのでは?」
「私は今、礼儀の話をしているのだ!」
口げんかで収まるか雲行きが怪しくなり、誰か止めろと互いを肘でつつく。
「レダ神父!」
ジェーナス神父がカウンターから駆け戻って来て笑いかける。
「略式で構いませんから、ここは……拝礼してもらえませんか」
誰もが仲裁にホッとしかけたが、レダの氷のような視線がギロリと柔和な笑みを睨みつけた。
(こういうやつが一番嫌い)
「教会の神父は、起拝の略式など存じません。雑務の手伝いもありますのでこれで失礼します」
踵を返すレダの後ろ、室温が体感5度ほど下がった中、フェーベ卿だけは怒りに燃えていた。
「優れた神力を殺傷にしか使えんでくの坊が!必ずその性根を鍛え直してやるわ!!」
◇
イライラした気分のままレダが神殿の外壇に出る。
(あの男、凍らせてやればよかった)
物騒な空想にふけりながら歩を進める。
(しょーもないね。神殿は太古の神の家だとか言って、他教徒や教会さえ見下す神官たち。そんな奴らが表向きは偽善者面してさ)
そんなささくれた気持ちをなだめるように、ネックレスに触れる。
(本当の女神は、そんな些末なことは気にも留めない存在なんだろう)
神殿の周囲をぐるりと巡る上層の外壇は、人々が欄干沿いに身を寄せ合っていた。皆それぞれ不安げに、暦の狂った海の方を眺めている。石の通路を足早に歩き女神の間に向かう途中、花籠を抱えた見慣れた姿があった。
「トゥルー??珍しいな、きみが神殿にいるなんて。ここは商売禁止だよ」
「レダ神父!!ちょうどよかった!珊瑚人(コラド)の女の子来なかった?ついさっきついたはずなんだけど見てない?」
情報屋の口から当たり前のように『コラド』という言葉が出てきて一瞬たじろぐ。
「いや?いたら目立つだろ」
「いるはずなのよ!さっき旧地下街通って地下入り口まであたしが案内したんだから!」
珊瑚人がこの神の家に居る……?動揺を隠して聞き返す。
「案内って……君が人助けとか凄い違和感なんだけど。」
「もちろん商売よ!!聞いた話だと王を追ってるって言うから、ここから護衛をつけて一緒に王都まで帰ろうかしらって。ついでに動向を探れるでしょ」
「……珊瑚人が、王を追ってる?何で?」
かすかに眉を寄せたレダを見て、ミルキーブルーの髪を肩にはらったトゥルーが、ふふん、と笑う。
「お金くれたらすぐ調べるわよ?はっ!て言うか、レダ神父も王都に帰るんならついでに――」
緩く巻いたターバンに、どすっと人差し指を突き立てる。
「お断りだね。僕の旅はただでさえ雑音が入るのに、更なる不協和音は迷惑だ」
青装束はただでさえ目立つため命知らずな外敵に絡まれやすい。
「大体、護衛はお偉い神官サマ達の仕事だ。取っちゃ悪い」
「も~いいわよケチ!」
「あ、ひとつだけ」
自分に得が無いとわかるとさっさと離れていく少女をとっさに呼び止める。
キン!と一番高い硬貨を指ではじいて渡すと、ぱしりと小さな手が受け取る。
「その珊瑚人を、君はどう見た?本物だって思う?」
いまや伝承の中だけに存在し、絶滅説すら出ていた珊瑚人。
その至高の存在に触れられるかもしれないと、自分が高揚しているのがわかる。うーん……と小さな情報屋は腕を組み、ひとつ切り花を差し出した。金は好きだが施しは嫌う彼女の性格を知るレダは黙って受け取る。
「純真無垢……というか素朴な田舎娘って感じ。ぜんっぜん珊瑚人っぽくなかったわ」
期待はずれな答えに、くしゃっと手の中の花を握った。
◇
女神の間。彫像の裏から姿を現した少女に息をのみ、レダはゆっくりと腕を組んだ。
「なるほどね……」
畳んで置いた装束を拾い上げ袖を通す。真っ青に変化する装束をシェンナは珍しそうに眺めた。
「あんたが、コラドで、光で、王のストーカーか」
ふーーーっとため息をつく背中に、怪訝な顔でシェンナが問いかける。
「あの~、ぜんぶ違うんですけど。あなたはココの人?さっき何したの?」
ギラッと冷たい金の目がこちらを振り向き、さっきと同じ詠唱が響いた。
「サピュルス・コンジェラティオ」
バリッ!!
とっさに目の前に引き上げたルイの剣、その効果か先ほど少年を凍てつかせた力はまばゆい光の中で霧散した。
「!!」
シェンナは海色の目を見開き、レダは自分の手にある曲刀を見つめ呟いた。
「なんだよ、今のは……」
「ええ?!こっちの台詞だよ!!」
思わず言い返したシェンナに、不機嫌なレダが顔を上げる。
(この人……あのエメラより意地悪な気がする……!)
(田舎臭いタヌキ娘……女神のイメージが台無し!)
お互いをすばやく値踏みする空気の中、めんどくさそうにレダが口を開いた。
「名前は?」
「え、シェン……いや!!あなた!他に言うことあるでしょぉ?!」
「チッ、うるさい、もういい。あんた、ここにはどこから入って、いつからいたのさ」
目立つ。明らかにこの容姿は目立つ。さっきの不躾な学生たちもこれを追って来たのかと思ったが、トゥルーは送ってきたはずが神殿の中で見失ったようなことを言っていた。学生たちは迫害されたものが頼る先が神殿とアタリをつけて捜していたのかもしれない。
「どこって……この裏の、こっち」
予想外の答えに「うら?」と聞き返し、彫像の背面に回る。たしかここの裏戸は――
「えっ?」
明らかに、動揺した様子の少女の前には、太い鎖で施錠された石の円形扉。呆然と見上げる背中に続けて問う。
「あんた、変な嘘つくね。地下の旧市街から来たらしいけど。この裏戸はね、地下からの階段が崩落して以来こうして内側から施錠してるんだ。さらにいつの間にやら育った珊瑚で封じられててね」
「階段……あったけど」
混乱した様子でペタペタと扉を触る少女がハッとこちらを振り返った。
「荷物!!わたしのかばんがこの外に!お財布とか着替えとか!エメラのくれた人魚のぬいぐるみ……」
神秘の存在の、明らかにしょげかえった様子にレダはこめかみを押さえていた。
「じゃあそれを信じるとして、あんたは何で……」
まったく耳に入っていない様子にイラっとして手首をつかむ。
「おいって!聞けよ人の話を」
「ち、近い!」
ブン!と持っている剣を鞘ごと振りぬかれ慌てて避ける。
「やるかこのっ」
苛立ったレダの声と共に、ヒュウッとさっきの冷気が肌をつたう。
バリッ!
また目の前で光が弾け、無傷のシェンナに明らかにレダの目の色が変わる。
聖職者になるためには、厳しい修行を積み、「神力」と呼ばれる力を身につける必要がある。
神力の強弱で、任地の階級も、出入りできる場所も、与えられる役目も決まる。宗派を問わず、聖職者の世界とはそういうものだった。
そしてレダは、生まれつき神力が非常に高かった。
それまでの常識では、神力は高めていくためのものであり、神力制御の仕方を幼いレダに教えられるものは居なかった。ゆえに、幼い頃からレダは孤独だった。その心の拠り所は、伝承の中にある、生命の光を産む桜珊瑚。その化身の珊瑚人。
「実物がこれって!!」
「知らないよ何なの!!」
シャーっと威嚇しあいながらも、レダが手に持った曲刀を噴水につけると、すぅっと手のひらサイズのネックレスに形を変えた。
「紹介が遅れた。僕は王都にある大教会の神父レダ。もしあんたの目的が王を倒すとかなら、王都の人々全員を巻き込むって事だろ?だとしたら、あんた僕の敵だ」
「勝手に村に来て人を殺す王様なんていらない!わたしは絶対もう一度あの王の前に立つ!」
バチバチと睨み合っている中――
「レダ神父ですか?」
のんきな声が聴こえ緊張の糸が切れた瞬間、シェンナは正面の入り口に向かって走った。
「あ、待て」
「イヤ!!」
ハッキリとした拒絶に、ひく、とレダの目が細まる。
「……扉を出て左手の階段を二つ降りな。通路を進めば広間がある。もし本当に王都に来るならその恰好(ナリ)をどうにかしな。田舎臭くて目立つから」
最大限、優しさを見せたつもりだが桜色の後ろ姿が怒りでプルプル震えている。
「あのさ、さっきの歌声って、ほんとにレダ?」
「だったら何」
ギッ!と怒りに燃える目がこちらを向く。
「勿体な!」
カーン!とシェンナの頭にレダの投げたネックレスが直撃した。
「それ使えないからいらない。……あんた、さっき部屋が光った時、声って聴こえた?」
「今もう話したくない!!」
それだけ言い捨ててぴゅーっと走り去った後ろ姿にまたこめかみを抑える。
シェンナが去った直後、ひょこりと背の高い影がのぞいた。
「レダ神父、ここでしたか!今のは……ええと、あそうだ。フェーベ卿が礼拝室にお呼びですよ。ええ~……もう、あの、処置はね、済んでますから」
ジェーナス神父の遠慮がちな笑みから見て、確実に学生を凍らせた件だろう。
「すぐ行きます……」
返事を聞き柔和に笑い去っていく背中を見送ると、レダは一度だけ彫像の裏手を振り向いた。
「……グラディウス・アクアーティカ」
空気を縦に裂く音と共に、鈍い音を立てて鎖が落ち、石の扉がほんの少し向こう側へ開く。
海の香りを感じ、ドアの隙間から向こう側を見たレダの視線がぴたりと一点に縫い留められた。
ドアの前、レダの腰あたりまで育った珊瑚の上にキャンバス地のカバンがちょこんと乗っていた。
