08 狂った暦

王都への干潟道、クリフロードは海期を前に賑わっていた。
潮時表を片手に、レダとヤサギが露店を見て歩く。
「日が長くなりましたねぇ。この時期は星が出るまでの時間が長い」
「19時に海が上がってくる予定だから、まだ余裕あるね。胡桃パン2つください」
買いたてのパンの香りをかぐレダが、口をへの字にする。
「やっぱり、王都にある店のが一番なんだよな。クリームチーズのやつ」
長い付き合いで、その店の話を何度も聞かされているヤサギが、軽く肩をすくめた。
「飽きないんですか? それ。塩むすびを2つください」
「人のこと言える? 北の星地の外でまで米を食べたいかな。て言うか、君がずっと言ってた“光”は良いわけ? 見失ったの?」
その言葉に、ヤサギの足が止まる。
「夜這いに失敗したのは、認めます」
「真顔で何を言ってんの?!」
「まあ冗談ですが。もう縁は出来ましたので、あとはもう、どこに行こうが会います」
さっぱりわからん、と眉間に皺を寄せながら、レダがハッと空を見上げる。バサ……! と、大きく羽ばたく音がして、何かがネックレスに吸い込まれた。
「……任務は終えたみたいだね」
ヤサギがその様子に目を細める。
「レダ。あなたのその力、むやみに使わない方がいいのでは?」
ムッとしたレダが言い返そうと口を開きかけた時だった。
「戻ってください!! 渡らないで!! この先はもう通せません!」
今まで和やかだったクリフロードの関所から、大げさな拡声器を抱えた職員が叫んでいる。
「……はあ? どうしたんだ一体」
ざわつく群衆を見て、レダが目を瞬く。
「あれをご覧に! 海守の狼煙が上がりました!」
見れば、はるか対岸。これから渡ろうとしていた長い干潟道の果てに、赤い煙が長く伸びている。
一瞬、水を打ったように静まった場が、大きくどよめいた。
「海が来た!!」
◇
「嘘でしょう? 私、人を待ってるのよ?!」
「3時間は早いじゃないか、どうなってるんだ!」
人々が慌ててクリフロードから高台に駆け上がる。レダは喧騒の中、動悸で胸を押さえた。
『あの神力は、もはや人ではない』
『聖なる力などではない、あれではまるで――』
子どもの頃から言われ続けたささやきが聴こえるようで思わず首を振る。
「そこのお二人も早く上がってください! そこでは危険です!」
ハッと辺りを見渡すと、干潟に降りたままなのは彼方をのんきに眺めているヤサギと自分だけになっていた。
「確信を得たり、ですね。やはり彼女で間違いはなさそうだ」
どこか愉しげな声音に、レダが眉根を寄せる。
「君の言う“光”の仕業ってこと? 言っても数時間だ。偶然ってことも――」
「ことわりが変わったんですよ」
軽い声音にそぐわぬ断言に、目をみはる。焦った関所の職員に急かされ、高い場所まで上りながらヤサギをにらむ。
「待ってよ。光が現れたから、海の暦が狂ったって、そう言ってる? なにか兆しがひとつでもあった?」
「星に出てました」
またしても、しれっと爆弾を落とす連れにイラっとして言い募る。
「君さ。昨日の会合で一言でも言った?! 言わなかったよね?」
「そうでしたか? まぁなんにせよ良かったですね」
「?」
「あなたの神力のせいではなくて」
薄く笑い首を傾げる顔に、何か投げつけてやりたい衝動をなんとか堪え……ようとは思ったが、やはり手が出た。
胡桃パンの包みを勢いよくヤサギの頭に振り抜いたがかわされ、悪態をつく。
「そういうところ!! 僕はこれから緊急時の手筈通り、地域の神殿の手伝いに行くから。そっちは好きにしたら!」
怒れる青装束の背中を見送り、ヤサギはひとつ息をついた。
「さて。私はどうしましょうかね」
◇
トゥルーに案内された細い通路を上ると、踊り場のような空間の正面に石造りの扉があった。わたしの目線より少し上のところが小さな鉄格子になっていて、向こう側からのお祈りの言葉が音楽のように聴こえる。
扉を開けようとしたとき、ふと左手奥にもまだ通路があるのが見えた。
「あれ? どっちだっけ。上がったら広間の端に出るって言ってた、ような」
目の前の扉と、通路を見比べる。すると、通路の先が、パッと淡く光った気がした。
カラカラ……と、腰に付けた金属の筒が鳴った。
「?」
ルイのくれたお守り。なんとなく、導かれている気がして。目の前のドアノブから手を放し、わたしは通路の奥へと歩を進めた。
その数分後――
「もうなんで! 海面がこんな早く上がることなんてあるの!?」
焦ったトゥルーが階段を駆け上がり、迷うことなく石の扉を開け、神殿の広間へと転がり込んだ。
扉が閉まったその向こう、シェンナが進んだ通路の端、立入禁止と書かれた朽ちた看板がカラリと転がった。
◇
通路の先が広い空間かと思っていたが、なんだか妙に細く長い階段がくねくねと上に繋がっている。
「何処まで登るのぉ??」
はふはふと息を切らして上る。足元や、壁に手が触れた場所が時折淡く光っては消える。ようやく、また扉が見えて顎先の汗をぬぐいながらその前に立つ。
先ほどの扉の3倍は大きい円形の両扉。円の形に添うように小さな絵が連なっている。
「ん? これルイの剣の模様と似てる……」
荷物を下ろし、背中に括りつけていた鞘を見つめる。
「……文字なのかな。やっぱり。知らない文字を調べるには辞書があればいいんだっけ」
博識だったルイを思う。色んな事を教えてもらった。でも、村の襲撃の時まで、彼が剣を持っていたことすら知らなかった。彼が、武器を扱えたことも。
「ねぇルイ。6歳で外の世界を旅してきたあなたには武器が必要だったのかな」
少し思い出に浸る。するとまた、カラカラ……と腰のお守りが鳴ったので触れる。
「……えっ?」
いつの間にか、目の前の大きな円形扉が少し開いている。
「これが、うわさに聞く自動扉……」
隙間に身体をねじ込んで中に入ると、部屋の真ん中にごつごつとした造形の噴水と、その中央に彫像の背中が見えた。
◇
そこには、桜珊瑚から造られた水盆を掲げる女神の彫像が安置されていた。水盆から絶え間なく湧き出る水音が、小さな空間を満たしている。
各地の神殿にある御神体を収めたこの場には、高位の聖職者以外は入ることができない決まりがあった。
女神の彫像の背面に、街中を走り回り、神殿についてからも長い階段を上ってきたシェンナがいた。噴水の淵に腰掛け、ひんやりとした水に手をつけて一息つく。
「うーん、きもちいい。でも。ここを広間とは言わないと思うんだよなぁ。また迷子になったかな、これは」
これを知られたら、神殿まで案内してくれた美貌の情報屋の目がまた吊り上がる事だろう。
もう少し、父やエメラ、ルイの死について浸るべきだとは思う。でも、ここで深く考えてしまっては足が止まってしまう予感もあった。
「イーヴァンを追う、……今日明日でできる事じゃないんだ、きっと」
ひとつ、ため息が水音に溶ける。
「わたしが村を出る時は、ルイとエメラと一緒だと思ってた。ふたりが消えた世界で、この先何年、何十年? どうやって生きていけばいいんだろう」
疲れに目を閉じ、噴水の淵で小さく身体を畳む。心地よい水音に、正面から入ってきた人の気配にシェンナは気づかなかったし、レダもまた聖職者しか立ち入らない神域に先客がいるとは露ほどにも思わなかった。
女神の彫像の前で、レダは手のひらを上に向け、両腕を持ち上げる。続いて、両手の小指側を合わせ、下げた頭の上に持っていく。最後に胸の前で水平に手を合わせ片膝をつける。最拝礼と呼ばれる南の聖地の仕草だった。
しばらくそのままの姿で祈りを捧げ、立ち上がる。首にかけたネックレスを外し、水盆に沈め清める。その間、青装束を脱ぎ綺麗に畳むと噴水のそばに腰を下ろした。幼い時から、レダはこの女神像がある空間が好きだった。俗世から切り取られ、どんな雑音も届かない場所だった。そして水音に混ざりはするが、この小さな空間では歌声がよく反響するのだ。
「~~~♪」
いつからか知っていた旋律。レダの歌声が広がり、シェンナが顔を上げる。
(綺麗な声……それにこの曲、なんだか懐かしい)
彫像を隔てて向こう側の声音に、耳を澄ます。体勢を変えて振り向いた時、腰から下げたお守りが、噴水の水に触れた。
ポチャン……!
パアーッと辺りが淡い黄緑色に輝き、今度はレダが目を見開いた。噴水の水しぶきが細かく形を成しまた消える。こんな現象は見たことが無かった。そしてその異様のなか、今度ははっきりと声が聴こえた。
『居た、居た、居た』
『返っておいで』
『お前に道を作ろう』
その声は、淡い光と共にすぅっと消えた。後にはまた水音だけが残り、彫像の正面と背面両側で、二人は瞬きを繰り返した。
レダが口を開きかけたのと同時に、どやどやと少年3人が正面入り口から入ってきた。
「居たか!」
「いや、あ、でも人がいる」
(また……!? さっきの人たちだ!)
街で追いかけっこを演じた面々だと気づき、シェンナは身構え、不躾な訪問者に、立ち上がったレダの目が一瞬で鋭くなった。
「何ですか君ら。」
青装束の無いレダを、若い職員と見て少年たちは少し安堵したような態度を見せた。
「気にしないでください。人探ししてて、居なきゃ出るんで」
「見たところ学生か。ここは聖職者以外は立入禁止ですよ。子どもだからって許されるわけじゃない」
既に、神父にあるまじき殺気を纏い始めたレダに気づかず、一人がへらへらと笑って答える。
「治外法権は知ってるけど、迫害されてるヤツを兵士に渡したら小遣い稼ぎになるらしいから!」
「見なかったことにしてよ、おにいさん」
彫像の傍まで迫った気配に、シェンナが反対側に飛び出そうと立ち上がった瞬間――
「動くな!!!」
雷のような怒声に全員の足がその場に縫い留められた。
「ここには、僕の敬愛する桜珊瑚の女神が祀られている」
先ほど、水盆に収めたネックレスをつかみ、レダが少年たちを順に見据える。
「この場を汚すものは、誰であろうとも祓う」
少年二人はカチコチと固まっていたが、残る一人は、それでもなけなしの威勢で前に出た。
「捜して、いなけりゃ帰るって言ってんじゃん!」
そしてあろうことか、レダの前で女神の彫像に手を置き、シェンナのいる裏側を覗き込もうとした。
レダが手を付けていた浅い水盆から、一本の長い曲刀が引き抜かれる様に、固まっていた少年二人は小さく悲鳴を上げた。
「サピュルス・コンジェラティオ」
曲刀の切っ先が少年へ向けられた刹那、パキイィ……! と鋭い音が響き、少年の全身が瞬く間に氷塊へ閉ざされた。
何が起きてるのかわからないシェンナのもとにも、ひやりとした冷気が届く。
「綺麗な彫像とはいかないね。景観を損ねるからさ……さっさと持って出て行って」
氷の像となった友人に自分たちの制服を巻きつけ廊下に出し、助けを求める声が遠ざかっていく。
ようやくまた穏やかな水音だけが満ちる空間でレダはひとつ息をつき、小さく咳払いをした。
「……で? どうやってここに入り込んだのか知らないけど。君には危険がいっぱいだから、帰ることをお勧めするよ」
とっさに彫像の向こうにいるシェンナが言い返す。
「帰らない! わたしは仇を、イーヴァンを追ってるの!」
予想外の返答にレダの目が不機嫌に歪む。
「あのさ。今だって学生に追われて息を殺してたヤツの台詞? いい加減、顔くらいだしたらどう?」
カツ、と石畳を打つ音がして女神の彫像の影から現れた少女に、レダは短く息をのんだ。
自身がずっと昔から敬愛してきた女神と同じ、桜色の髪と海の色をした目が、そこにあったから。