ヘッダーメッセージ

03 ルイのお話の中の人

「う〜ん、髪伸びたなあ」
解けば腰に届きそうな髪をまとめ、高い位置で結い直す。
インディゴブルーのワンピース型の湯浴み着を着込み、更衣室を出ると、まだ朝早い宿の中庭に人影はまばらだった。
プールサイドを見渡し、シャワーで体を流す。
少し気持ちもさっぱりした。
外の道が、あんなに埃っぽいとは。
プールは小さい子ども用の浅い場所と、大人の胸元くらいまである深い場所に分かれていた。
男の子と母親が浅い方にいるのが見える。
ばたばたと足で水を蹴り上げる子どもをなだめる姿に、村に残してきた母が胸をよぎり、小さく首を振った。
深い方へ足から入る。
その瞬間、黄緑色の光が水の中を走り、すっと消えて、また何事もなかったような水面に戻った。
ちゃぷちゃぷと移動しながら、これからのことを考える。
王国では、さっき出会ったトゥルーくらいの年の子から働いているのだろうか。
イーヴァンを追うことしか考えていなかったけれど、こういう旅が続くなら、お金とかいるのでは?
イデアって、いつまで一緒にいてくれるつもりなんだろう。
「うぅ〜〜ん」
ふと、小さな気配に顔を上げる。
鼻先が触れそうな距離で、小さな浮き輪に乗った赤い毛のイタチ――らしき生き物が、わたしを覗き込んでいた。
「おぉわぁ?! だぁれ?」
匂いを嗅ぐようにこちらへ首を伸ばしてくる姿に、思わず声が出る。
次の瞬間。
ザパッ、と浮き輪ごとイタチが持ち上がり、わたしは呆気にとられた。
「チスパ! 女と見ればすぐ近づいて、このヒワイタチ!」
褐色の肌の少年に捕まった途端、しゅるりと彼の首に巻きつき――
あっという間に、赤いリングの首飾りへ姿を変えた。
「邪魔したな」
表情を変えずに背を向ける少年へ、思わず声をかける。
「!!? え、すごい。もう一回やって?!」
わたしに呼び止められたことが意外だったのか、少年が振り向いた。
褐色の肌。
オレンジ色の大きな猫目。
黒褐色のまっすぐな髪。
赤い獣が姿を変えた、つるりとしたリング状の首飾り。その下には、ビーズと動物の牙を連ねたネックレス。
そして、二の腕に刻まれたタトゥー。
わたしがまじまじと目を奪われているのと同じように、彼もまた、わたしを凝視していた。
「お前……」
「タカの一族の人!!」
相手が何か言おうとしたのを遮ってしまった。
けれど、ルイの話に出てきた高原の少年部族。その特徴とぴたりと合った驚きに、思わず声を上げてしまったのだ。
相手が身構えたのがわかったけれど、興奮は止まらなかった。
「すごい、西の荒原の戦士だよね!?」
何度か大きな目を瞬き、彼の肩からふっと力が抜ける。
「そうだ。タカのハヤブサという。お前は?」
「わたし、シェンナ! ねぇ、さっきのコ、もう一度見せて!」
ハヤブサが何かするより先に、首飾りがしゅるりとほどけ、赤い毛並みのイタチが現れた。
「こいつはチスパ。ヒノワイタチという魔獣で、俺の相棒だ。女好きで卑猥なイタチだから、ヒワイタチって改名しようかと思ってる」
薄目で睨むハヤブサに抗議するように、赤い獣が口を開ける。
細かな火花が、ぱちぱちと飛んだ。
「こんな素敵な生き物、初めて見たよ! 魔獣だから変身が得意なの?」
「チスパは擬態が上手いんだ。しかも硬いから、武器にも盾にもなる」
世界ってすごい!
なんだか意気投合し、しばらくハヤブサと話し込んでいた。
ふいに首の後ろあたりに視線を感じた。
振り向こうとしたわたしを、ハヤブサが制する。
「さっきから……お前を見てる男がいる。プールサイド、入り口と逆側だ。そっちを見ないで、もう上がった方がいい」
「男? あ、でも連れの人かも」
ハヤブサは素早く首を振った。
「そんな雰囲気には見えない」
切羽詰まったような、真摯な忠告だった。
「わかった。着替えて部屋に戻るね」
二人でプールサイドへ上がる。
ハヤブサが手早く体を拭くのを横目に、更衣室へ向かおうとした時。
やはり気になって、肩越しにほんの少しだけ振り向いた。
「――!!」
その男の人とは、距離がある。
それなのに。
真っ暗な両目を。
その視線を。
まるで至近距離から向けられているように感じて、総毛立った。
姿を見られているというより、存在そのものを値踏みされている――とでも言えばいいのか。
普通ではない。
ただ、直感でそう感じた。
わたしは逃げるように、更衣室へ駆け込んだ。

「うわ、本当にプールにヤサギがいる」
呆れたような声にそちらを向けば、ブルーグレーの湯浴み着を着たレダが、シャワーをひねったところだった。
「今さぁ。プールの入り口ですれ違った親子が、妙な話をしてた」
温水に浸かり、黙ったまま考え込んでいるヤサギを気にも留めず、レダが続ける。
「桜色の髪のおねえちゃんがプールに足をつけたら、水がぱって光ったんだ――だってさ。親の方は見てなかったみたいだけど」
ざぷ、と波が立つ。
ようやくヤサギが顔を上げた。
プールへ入ってきたレダが、どこか探るような目を向ける。
「君は見た?」
ふふ、と。
暗い目が細まるのを見て、レダが嫌そうに眉を寄せた。
「また秘密?」
「いいえ」
ヤサギは、静かに笑った。
「降って来ましたよ。ついに。想定よりはるかに小さくて――しかし、活きは良かったです」

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