桟橋で ― L. Lett’s Field Notes ―
猫が導いた先は、人気のない桟橋の下だった。
崩れかけた石積みの陰。
濡れた岩のあいだから、潮が静かに引いてゆく。
そこで、彼がいた。
傾きかけた夕日を受ける水をまとい、猫に何かやっていた。
こちらに気づいた彼は、視線をよこし──
すぐに、波のように身を返した。
消える。そう思った。
ポケットから小瓶を取り出しながら、思わず声をかけた。
「アオリ──」
名前を呼んだ瞬間、彼は明らかに驚きを持って振り返った。
困惑を浮かべた蒼い目にぶつかってすぐに我に返る。
とっさに口をついた音に自分で驚いて、思わず立ち尽くす。
お互いを伺うような、間の抜けたような沈黙。
言葉を発さない彼から、初めて“何か”が伝わってきた気がした。
それが好奇心だったのか、
それともただ「今の、ぼくのこと?」という問いかけだったのかは、わからない。
けれど──確かに、あのとき初めて、
彼の視線がはっきりと、こちらに向いた。
波の音と、どこからか戻ってきた猫が、ふたりの間を行き来していた。